価値というのはそこにあるものではない。信じるものだ。「リア充」になるには、まず、世間に流布するお手軽な価値を信じられなければならない。コンパにたくさん参加することは楽しい。異性とたくさん付き合ってセックスすることはすばらしい。やり甲斐を感じられる仕事に巡り合うことは幸せだ。頑張った分だけ報酬が貰える社会は正しい。他人を幸せにできる人生こそ有意義というべきだ。誰かと理解し合える歓びは至上である。そんな共同幻想を「リアル」なものとして無邪気に信じられる人でなければ「リア充」にはなれない。「リア充」は夢想家でなければならない。
世代的な差異はあるかもしれないけれど、ネト充やオタクと呼ばれる人たちはそうした意味での夢想を、望むと望まざるとに関わらず、砕かれてしまった人が多いように思う。コンパはお約束の中で演じられる茶番にすぎず、セックスは不完全なコミュニケーションの試みにすぎず、仕事のやり甲斐はただ自分のためのものでしかあり得ず、社会的に価値ある努力ができるかどうかは運でしかなく、他人を幸せにできたかどうか検証する術はなく、人は決して解り合えない。…そんな現実を突きつけられる。リアリストになる。一度見てしまった現実を知らなかったことにはできない。
すでに自覚的な妄想家が、天然モノの夢想家である「リア充」になれる道理はない。